いない人、いますか?
いない人は、いない。
ある文芸サークルのLINEにこんな一文が見られたとします。
「今日の16時から例会やります~!!製本前ラストです。
一応全員そろうのが理想なんだけど…帰省とかで今日いない人いますか?」
何の変哲もない文章です。
しかし、「いない人がいる」という文は一見矛盾しているようにも見えます。
一方「いない人がいない」というのも、一見すれば自明です。あえて聞くまでもなく、いない人はいない。
ではこの質問がナンセンスなものではなくきちんと意味を成すのはなぜでしょうか。
今回はこの文を手がかりに言葉の暗黙の多義性について考察したいと思います。
隠れた多義性
日本語には「おはようございます」という朝の挨拶があります。
この「おはようございます」ですが、実際には様々な意味合いで用いられています。
- 朝だれかに会ったときに「おはようございます」
- いま起きたばかりの人に「おはようございます」
- その日会うのが初めての人に「おはようございます」
一部の飲食店や芸能界などでは、出勤時に「おはようございます」というのが通例となっている場合もあるようですね。
元々は1.の意味で使われていたこの挨拶も、
「朝→起床(2.)」「朝→その日初めて顔を合わせる(3.)」というように意味の幅を広げ、今では多義的に用いられているのです。
「結婚(婚姻)」という言葉も多義的です。
たとえば「婚姻の届出の成立要件説/効力要件説」という法学上の2つの立場があります。
婚姻届を提出してはじめて「結婚」が成立したものとするか、
婚姻届の提出がなくても「結婚」は成立し得るが、法律上の効力は婚姻届を提出しないと発生しないとするか。そういう2つの見解があるのです。
また、結婚の成立時期だけでなく、結婚の意味内容も多様なのです。
財産の共有、貞操の相互独占、家系の交差、などなど、民法に見られるだけでも実に多様な意味内容を含む語なのです。
民法は結婚の定義を明記せず、それでいて様々な法的意義をそこに認めているのです。
社会通念としても、事実婚(内縁)、別居婚、同性婚などを結婚と認めるかについては意見が分かれそうです。
「小泉花陽ちんは俺氏の嫁ですぞ、ンフーッ!!」みたいなことを言う人もいますが、これについても見方は様々でしょう。なんて優しい世界。
ほとんどの言葉は多義的です。
僕たちは言葉の多義性を巧みに利用しながらコミュニケーションを円滑に進め、
しかし往々にしてその多義性に翻弄されてしまうのです。
「いない」の2つの意味
「いない人いますか?」という最初の文に戻りましょう。
どうも、「いない」という語には3つぐらいの意味があり、その意味を僕たちは暗黙のうちに使い分けているようなのです。
- 物理的に、その場に居合わせていない。不在である。(「レジに誰もいない。」)
- 概念として、カテゴリー上存在しない。(「チーターより速く走れる人なんていない。」)
- 死んでしまって、もう生存していない。(「愛した母は、もういない。」)
3.は、「愛した母は、私のそばにはもういない」という1.のニュアンスと、「私には母と呼べる人がもはやいない」という2.のニュアンスが含まれています。母が生きていたころを思い返して、しかしもはや「そのような人」はどこにも存在しないのだ、という感傷であり、1.と2.の境目に死が横たわっているのです。
さて、「いない人いますか?」ですが、
最初の「いない人」は1.の意味合いで、「サークルが開かれる場に居合わせていない人」を表しています。
後ろの「いますか?(いるかいないか)」は2.の意味合いで、「サークルのメンバーにそのような人が含まれているか」ということを言っています。
一見ナンセンスであるかのような「いない人いますか?」という文は、そのような「いる/いない」の暗黙の多義性によって意味をなしているのです。
くだらないことのように思われるかもしれません。
しかしこのような暗黙の多義性を意識できれば、言葉の意味のズレから起こる無闇なすれ違いを避けることもできますし、自分の文章が正しく伝わるかのチェックにも役立ちます。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。